ショパン:ワルツ変ホ長調(遺稿),ワルツホ長調(遺稿)
Waltz in E flat major Op. Posth/Waltz in E major Op. Posth
スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)
演奏内容もさることながら、本当に楽しそうに弾く姿に"ブーニンらしさ"を感じたため掲載しておきます♪やっぱりブーニンは笑顔が一番ですね(笑)
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スタニスラフ・ブーニンの記事一覧
【関連CD】
ショパン:14のワルツ集
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ブーニン(スタニスラフ) ショパン
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ショパンコンクール優勝後のエピソードその2
※以下の記事は「カーテンコールのあとで」(スタニスラフ・ブーニン著)に基づいて書かれています。(実はブーニンは本を出版していたんです。ご存知でしたか?)
なお、記事中にでてくる国名は当時のものです。
エピソード2(エピソード1はこちら)
大雑把なエピソード
西ドイツからの帰国すると教授会から一切のコンサート活動の禁止と、ドレンスキー教授がブーニンにピアノ指導をしてはいけないという決定を言い渡される。
↓
我慢の限界に達したブーニンは自ら音楽院を退学。
「先生方の手の込んだわけの分からない謀略には、もううんざりです。あなたが他の仕事は一体なんですか?学生に、音楽という芸術を教えることでしょう?それがどうです。みんなの見ている前で、私欲に取り付かれた愚か者を演じ、言い争いや密告ばかり。これ以上、皆さんの元で勉強を続けるのはイヤです。音楽院を辞めます」
教授たちは言葉を失い、青ざめ、辞めないでくれと追いすがる者もいたがブーニンは院長に退学届けを出し、音楽院を去っていった。
↓
音楽院から解放されてコンサート活動を再開。しかし、音楽院から妨害は続く。
この頃からソ連に留まることの限界を感じて亡命を考え始める。
↓
西ドイツでのコンサート直前に音楽院がKGBに嘘の"密告"
その内容はブーニンが外国の諜報機関に雇われた協力者というなんともめちゃくちゃなものだった。
幸い西ドイツでのコンサートは予定通り行うことができたが、ブーニンが国外にいることをいいことにKGBと文化省がこの次に控えているフランスとイタリアでのコンサートを勝手にキャンセルしてしまったことを知る。
↓
帰国したらもう二度と海外で演奏できないことを悟ったブーニンは亡命を決断。
"最後"の海外公演ではKGBの監視員つき
亡命直前の西ドイツコンサートでは音楽院からの密告をうけて特に監視が厳しくなっていました。KGBと思われる監視員が2名、四六時中監視しています。ブーニンがオーケストラとの合同練習をしている時も監視員がオーケストラの楽団員に紛れ込んで見張っており、主催者の屋敷に招かれたときはそこの女中にまでブーニンの監視するように命じていたといいます。
おまけ
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